西洋や中国で、ろうそく(キャンドル)は紀元前から作られていました。有名なのは、ミツバチの巣を原料とする蜜ろうそくです。奈良時代に仏教とともに日本に渡来したのが、この蜜ろうそくだと言われています。
「ロウ」を漢字で書くと虫偏の「蝋」ですが、つくりは一カ所にものが集まることを意味し、まさしく「蜜ロウ」を指す文字と言えると思います。
輸入品に頼らずに、日本でろうそくの生産が始ったのは室町時代からと言われています。
当時はたいへんな貴重品だったので、宮廷・貴族・一部の寺院などでのみ、使用されていました。時代劇で活躍した武将の恩賞に「ろうそく」が使われたとの説もあります。
江戸時代中期以降は、ろうを搾り取る漆(うるし)やハゼの木の栽培が各藩で奨励され、生産量は大きく伸びました。
そうは言っても、高価な照明であることに変わりなく、民衆の日常生活で使われることはあまりありませんでした。そんな中、吉原の遊郭では沢山のろうそくが使用され、その豪華な様子が今に伝わっています。
ろうそくが日本全国に広く普及するのは明治時代に入ってからで、西洋ろうそくの国産化が始まってからです。
同時に和ろうそくは用途が儀式に限定され、減産を余儀なくされていきました。
その後、時代とともに“明かり"の主役は、ガス灯や石油ランプ、そして電灯と目まぐるしく入れ替わっていきました。
絵ろうそくは、雪の深い北国を中心とした、寒い地域の伝統的な風習でした。それは、豪雪地帯は冬になると半年もの長い期間、お仏壇にお花が飾れないことから、始まりました。
そんな地域では、葬儀の際であっても仏花の一輪も無い寂しい思いをした時期が長くありました。 そこでろうそくに色彩を加え仏花の変わりとして誕生したと言い伝わります。
当時は、専門の職人がいる訳でもなく、手探り状態で素朴な色彩だったのだと思います。 それが徐々に形を整え「金箔・銀箔」を張り詰めた豪華な装飾まで進化を遂げます。
「火を灯し消えゆく仏花の姿は、仏様に気持ちと共に花が届きますように」 先人はそう願ったのではないでしょうか。
以前、水戸黄門の時代劇などでも「絵ろうそく」の話が出てきて江戸時代中期の庶民の様子を鮮やかに演出していました。
また映画のワンシーンにも「絵ろうそく」は 名脇役としてその演出に大きな役割を果たしています。
大量生産・大量消費の高度成長期になると、ほとんどの「ろうそく屋さん」は廃業に追い込まれ、現代にはわずかな数の店が全国に残るのみになってしまいました。
最近は心の文化が叫ばれる中、徐々に日本の伝統文化として「絵ろうそく・花ろうそく」が 見直され、海外へ紹介されるようになって来ました。
先人たちの長い年月を超え、現代に伝わる日本の文化を、今後も未来に伝えていきたいと一心に思っております。